長く地方自治体の仕事をやっていると、特異な出来事に出くわすことがある。一般には知られていない面白いエピソードを。長い話になります。
ある意味、これほど社会に貢献をする人達が居ることが、一般社会や国民にほとんど評価されないのは何なのか、私は不思議で仕方がない。この優秀な人材が日本に存在することが、行政執行の適正化は勿論、広い意味での「人材育成」に貢献していることが、世の中に知られていないのは不思議である。
全くの社会の「縁の下の力持ち!」的存在であるが、私から見れば「正義と称する〇〇達!」より、勿論政治家よりはるかに国民の生活維持に役に立っていると思うのだが、私だけの意見だろうか?私が担当する地方自治体が主体となる国庫補助の事業がほとんど会検対象物件であることから、役所と職員の緊張感に満ちた、そして一見奇妙にも見える「会計検査⁉」について、滅多に出会わない役所の一面を報告したい。
会計検査のシステム
会計検査とは、あらゆる国庫補助事業について事業主体(地方自治体や各種事業体)が適正な事業遂行を実施しているかを、関係書類と施工実施の現場で会計検査員が検査判断するものである。
会計検査は都道府県を単位として、その市町村までを対象に一週間単位で専門知識を有する五、六人のチームで現地に訪れ、鋭い洞察力と深い知識で検査を実施するものである。城跡の石垣等修復工事のように事業期間が長くなる事業は、必ず二年に一度「会検」の対象になり、文化庁が補助する事業は文教の専門検査員が当たり、国交省が補助する都市公園等工事等内容は技術系の人が検査官として乗り込んでくる。
地方自治体の事業担当者は国庫補助事業の場合、必ず会計検査員の「来訪、そして検査」に備えなければいけない。それは、「恐怖!」に例えられるように、民間事業者では考えられない大変なプレッシャーを役所もその担当者も受ける結果になる。
余裕のある自治体は「会計検査」を嫌がり、国からの補助金を敢えて申請しないことも良くあることである。
地方自治体も「会計検査対象」である国庫補助事業については、ある程度担当する職員の「人選」を意識している。それは行政だけでなく、事業を、例えば建設であれば請け負う民間事業者も同じである。「建設会社であればどこでも同じ」と世の中を全く知らない政治家がいるが、当事者の役所は、検査経験のある大手建設業者に工事を請け負ってほしいのが本音である。
大げさに聞こえるかもしれないが、国からの補助金なくして何ら事業が成立しない地方自治体と、それに必ずついて回る「会計検査」は、ある意味、役所とその業務の中に緊張感をもたらし、一部の範囲だが人材の育成に大きな貢献をしているように私には見える。
会計検査の役割を指摘事項、何を恐れるか
たまに新聞記事等報道で「会計検査院の指摘」で補助事業費の一部の返還が新聞報道等で掲載されるのを目にすることがある。誤解されているのは、事業主体である地方自治体等や担当者が不正を働いているのはほとんど少なく、関係必要書類の不備や変更等工事費の取り扱いと、考え方の違いによることがその「不祥事」を招くことが多いことである。それでも検査院の指摘事項が、報道されるように「事業費の一部返還」になると、地方自治体やその担当者は大変な影響を受けることになる。
何が問題か。会検で検査員からその関連書類や現場観察で「指摘事項」が出た場合、現地で指摘事項が解決する場合と「事業費の返還」まで行くとでは大きな違いがある。地方自治体にとって「指摘事項」は記録に残るだけだが「返還!」になればそれこそ行政の質を問われる大問題である。事業担当者はそのことが一番、懸念されることなのだ。
会検での問題の発生は、その事業自体の執行継続の問題以上に、それ以後の関連する省庁の国庫補助事業に幾年かの影響があり、加えて地方自治体ばかりでなく都道府県単位で同一視されるようなことになりかねないことに、一番恐れることなのである。
会検に対応する職員には特別の才能⁈。
会計検査の光景は、広い部屋の中央に長い机に座る一人の検査官と、その対面に応対する役所側の二人が居る。役所側の総括の人間と事業を担当した職員である。部屋の両側には、壁に張り付くように沢山の行政の関係者がその様子を見ている。ただし沢山の関係者が居ても、二人の身内の職員の助けてくれる人は誰もいないのである。
会計検査院に立ち会い応対する職員に必要なことは、余分なことを口にしないことにある。人情的に簡単なようで、大変難しいことである。例えば、四、五十センチ前で提出した書類を熱心に、丹念に調べている検査官に「黙って、それこそ何十分間でも見ている」ことは、普通の人にはできないことである。検査官が黙って書類を見ていれば、人は動揺して余分なことを説明したがるし、「聞かれた以外を一切、答えない」も特別な才能が必要なのである。
私の体験談だが、「会検!」のため行政内部で会計検査員に対する対応や対策の特別な訓練があった。質疑事項にたいする検査官へ応対の仕方はもちろん、近年の注目される検査項目の扱い、他の県や自治体での検査指摘事項など事前に検討するのは当たり前である。
そして、なにより面白いのが検査のため来訪する検査員の性格から専門分野、出身校からその恩師の名前まで事前情報として予備知識を持っていたのだ。何枚かに纏められたペーパーを検査官の前に座る担当者は真剣なまなざしで「学習」したのを憶えている。趣味趣向までまとめられた資料を観ながら、会検の約一か月前あたりから準備するのである。私は文教の文部会検と国交省の都市部局の会見を受けたが、はるかに準備周到なのは、建設部局であった。
「悪い事をしているわけではないよな⁈」
会計検査を、直接受けたことがある人(民間を含めて)が世の中にどれだけいるだろうか。
自慢話ではないが、私ほど民間人で会計検査官のデスクの前で質疑応答を受けた人間はいないと自負している。私が担当する歴文化財整備事業(ほとんどが城跡整備等事業)の石垣復元等工事が、あまりに専門的であり、役所の専門職の人でも「会検」で予想される検査員の質問に応えられないことが多く、普段は行われない民間人が直接検査官の前で事業行為の質疑応答の役割を担ってきた経緯がある。
私が設計監理を任された各都道府県(市町村)で実施している事業のほとんどが国の補助事業なので、すべてが「検査対象」であった。事業期間が長いため、二年に一度、繰り返し必ず検査対象になっていた。特に事業内容が新しい分野であり、また検査官にも興味があるのか、ほとんど検査を受けることになった。その検査は、準備を含めて、本当に過酷だった。印象的には都市整備部局(国交省)の検査は、検査官が工事等の専門官であり、用意する書類資料は大変な労力であった。
ある地方都市の城跡の都市公園整備事業で建設部局の担当者は、僕の前で苦渋の顔をして「怒ったように発した言葉」が印象的に記憶に残っている。当整備工事が会計検査対応のために、それこそ一か月前から約二年間分の整備等工事の発注工事関係書類、工事関連の業者選定や見積根拠、工程と協議指示事項の書類、変更事項の確認書類等、あらゆるそしてこまごました工事関連の書類を事務所に泊まり込んで整理、まとめているときに、そんな状況に耐えきれなくなった役所の担当者は「何も俺たちは悪い事をやっているわけではないよな!」と言ったのを強く印象に残っている。睡眠不足の頭の中で、苦り切った顔から出てきた言葉に私も同じ思いでいたのを憶えている。
それほど、事業の担当者にかかるプレッシャーは大変なものであった。
「会計検査」の不思議なシステム
会計検査には「面白い!」決まりごとがある。検査するほうも検査される側もその決まり事に従っているから不思議である。
来訪する検査官は事前に知らされるが、検査対象事業はその来訪した朝に検査官から告げられる。検査官一人につき2,3件の事業物件について検査することになるが、指摘された事業の担当者は、ハラハラドキドキである。
面白いのは、呼ばれた順番に検査が始まるわけだが、何か問題が起こり、検査が長引けば、当事者は大変だが、その後の検査予定の事業関係者は内心ほっとすることになる。その日の検査期間に間に合わなければ会検内容は「問題ない」こと同様の扱いになるのである。それぞれの担当者にとっては「他人(ヒト)の不幸は我が身の幸せ!」になるのである。そして担当する検査官についても、ギラギラした若い検査官は避けたいのが、こちら側の願望でもあった。
こんな凡例もある。午前中から検査に入った私の城跡整備事業で、検査官が興味を持ったのか、昼休みを挟んで午後も検査を続けることになり、昼休み、役所の幹部から「できるだけ時間を伸ばしてくれないか」と申し訳なさそうに私に頼んで来た。午後に予定される検査物件が「危ないから!」ということだった。
担当者にとって検査官から「検査物件」として指名される緊張感も、それから解放される喜びも経験しない人には到底理解できないことである。
私の城跡等整備等事業の場合、会計検査官にとって興味の対象なのか、各地の城跡整備で検査対象になった。それこそ数えきれないほど検査官と対面した経験があり、多くの質疑応答を請け負ったことがある。幸い、問題を起こしたこともない。(問題を起こしていたらとっくの昔に私への委託事業はなくなっている)
そんな実績を認めていたのか、何件かの城跡整備事業では(都市整備部局)、役所との年間コンサル契約自体が来訪する会計検査対策ではないかと思わせる業務契約もあった。
多くの検査官に立ち会ってきた私の印象だが、検査のたびに「こんな優秀な人達が居る!」ことの驚きと、彼らの仕事以上に業務に向かうその日常の絶え間ない学習の姿勢に感嘆したことだった。
会計検査で解ること!
私自身は「会計検査の制度」によって、自らの仕事内容について突き詰めて見直す契機になったことは事実である。伝統的な職能や職種であっても、何らかの基準もあり、規約もあったはずである。例えば、城石垣の築造や人工の手間や積算書の組み立てについて、何ら規制も規約もなく職人に任せたわけではないはずである。昔はその積み上げをどのように決めたか、いつの時代に変化して、いつの時期にその算段や歩掛が無くなったのかを詳細に調べたのである。今の時期の職能の低下は勿論、成果物の質の低下は致し方ないにしても、私なりに史料を集め現状を比較し、検査官の前面で、その問題点を説明できるまで突き詰めたつもりである。
地方自治体にとって国からの補助事業は切っても切れない課題でもあり問題でもある。国庫補助事業の遂行にはどうして経験が必要であり、付きまとう会計検査に対応するためにも、優秀な人材が必要となる。逆に、会検に対応可能な人材が居れば、地方行政にとって継続的な事業が可能となり、相当有利になるはずである。
例えば、土木等建設のための国庫補助事業では請負業者の選定にも大きな影響がある。工事工程表もまともに造れない建設業者が沢山いるが、そんな建設会社に補助事業は任せられないのが役所にとっても、その成果を観る国民にとっても同じ事である。何故なら、工程が作れないことは工事の段取りができないことと同じである。経験のある現場代理人のいる大手建設会社に、いつまでも頼らざるを得ないし、いつまでも「大手」であることが許されるのである。
私見であるが、会計検査を幾度も経験したヒトは「顔見ただけで解る」のである。行政の内部でも、それこそ民間の事業者の代理人でも「会計検査」を直接受けたヒトのその態度や応答で理解できるものである。私が、後々の国等事業支援の採択のために直接担当者と協議した時、相手の多くが「経験者として」理解したことでもある。
コメント