史跡等歴史文化財の整備等事業とは何か (1)

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私が史跡指定文化財(記念物)の保存修理等事業にかかわったころ、80年代の初めのころであるが「観光」や「活用」という言葉を文化行政の担当者はもちろん、保存等修理の計画やその目的に使うのを大変嫌う傾向があった。それらの言葉を事業の目的に、また会話の中に使う人間も文化財の本質を損なう「邪道」のように扱われていた。
予算規模も少なく、決して世の中から注目されることもなかった時のことである。史跡指定文化財の補助事業と言えば「保存修理」であり言葉の通り、破損した箇所とその範囲のみを対象として、小さな工務店のような業者に頼んで数人で修理工事を行うようなものであった。

「主語」が変化する!

文化財保存保護の事業内容の推移とその変化については、一言で言い表すと「主語が変わって来た!」と私は思っている。

まだ初期(70年代)のころの事業は、遺跡遺構とその保存を「主語」として工事が行われていた。「修理」という補助事業名はあっても「整備、公開」という言葉も、その意識もそこには無かった。端的な事例として、修理後に「恒久的な保護のため」として地中に埋め戻すような処置まで正当化される時代だった。当然のように来訪者の便宜や住民理解の意識もなく、一部の学識者のみに価値が認識されていればよしとしていた時代である。

しかし時代とともに、事業名に「保存整備」という言葉が使われるようになり、幾分かの公開を前提にとした工事内容が加わることになる。「誰が遺跡を護るのか」との当たり前の問いに対して、国や行政の従来の「規制」ではなく、地域住民や遺跡を訪ねてくる人達への理解無くして遺跡遺構の保存保護はあり得ないことに気が付いたのである。
分かり易く言えば、埋蔵遺構の発掘調査報道の中で学識者が「大変貴重なもので、将来の研究に∸‐‐」といったところで、一般の人達に理解共有できないものに、その保護や保存の継続はないのと同じことです。

そして、一段の「歴史文化財活用」に大きな変化をもたらしたのは、90年後半以後のバブル崩壊後の国の地方活性化の経済対策が大きな要因である。
特徴的で地域を代表する歴史文化財について「地域の資産」として、主に観光や地域活性化の材料として計画立案し、従来では考えられないような整備規模で盛んに事業化を目指したことです。「箱モノや土木工事」と違い、地域とその住民の理解を得やすい事業を目指したものである。

復元した門虎口(松代城跡本丸大手)

史跡整備等事業の推移とその変遷

「史跡」とは歴史遺構である貝塚、集落跡、古墳や城跡など学術的に価値の高いものを国文化庁や地方自治体が指定したものをいう。「建造物」と違い「記念物」と呼ばれるものである。しかし、往時の景観を理空き出来るような原状を留める史跡記念物はほとんどなく、相対的な遺跡保存のための修理や整備等工事が問題となるのである。

ただ、指定文化財には法律での強い規制があり、直接管理する地方自治体でさえ国文化庁の「現状変更」等の認可が必要となる。遺跡の公開活用であっても整備工事になれば、事前の文化庁との協議が必要になり、かつ整備内容等事前の計画承認が求められる。 建造物が消失し石垣が破損している「城跡」を例にとると、所有管理する地方自治体は、整備等事業認可を申請するには現状や資料を詳細に調査し、整備等内容を明確にし「基本計画書」を事前に策定して文化庁の協議に入るのである。

「地方」からの要求と保存事業の変化

地域やその住民にとって後ろ向きの文化財保護政策が、地方の衰退とともに文化財が地域資産として見直され、「観光化」に活用しようとする動きが、全国の地方自治体に広がるのである。
従来の文化財保護行為との違いは、地域住民にとって分かりやすく、協働できる文化財の「整備公開、活用」を求めたことだった。城跡整備で代表されるように、歴史の中で消失した建造物や門櫓を「再現」し、地域住民を巻き込んだ、地域色に富んだその活性を目指すものである。

 その最も顕著な例として、以前の「天守閣復元]に大きく変化したことがある。
 消失した櫓建物や門等建造物の復元について、可能な限りの忠実な「復元等整備」を目指すものとなっていたのである。同じ材料で往時の構法で再現しようおとすることが当然の行為となった。安易にコンクリートなど使うことなく、そして以前にコンクリートで復元した櫓なども、木造での再建を目指すものさえ表れている。

追いつけない地方の行政と組織

 地域振興や地域活性化のための文化財等活用に最も困惑したのは、その当事者である地方自治体の行政組織である。役所の「地域の歴史文化財」を扱う部署のほとんどが「教育委員会」であり、歴史文化財の保護や管理を担当するのは「社会教育課」である。文化財の保護の対策はできても「活用公開」となると話は別である。

 教育委員会組織は文化財の現状を把握し、課題を整理し、事業化の企画を提案するような行政組織ではない。整備のための「基本計画書の策定」や「上部機関との協議」と取り纏めの経験もないし、そのような人材もいない。まして整備等工事発注や管理など長期的な事業運営など考えられない組織体制である。
 私は、各地方の教育委員会から所有する城跡等整備事業着手の相談を受けたときに最初に忠告するのは「整備事業を継続したいのなら建設部局を入れたほうがいい」ということだった。ほとんどの役所内部で、教育等部門と建設等部局は対極にあり、人事の交流もない。「水と油」の関係で、同じ建物の内部の関係でも、会話さえできないのだ。だからと言って、教育委員会の人間が工事発注やその適正な管理ができるわけがない。決まりきった「学校施設」とは全く違うのである。

 結局、役所内の部局の会話が行われ、連携が取れたところの地方自治体が、継続して事業推進になったことは事実である。

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