(城石垣へのアプローチ)
城石垣を湾曲するような曲面にすることには、構造的な利点もある。孕み出しのような変異変形する石垣を見れば、積石相互の接地(摩擦力)が、変形することで有効に機能することがある。
間隙に詰石をするように、積石相互(上下も左右も)に勾配を持たせることでセリを強化できるはずである。背後からの土圧や雨水等浸透からの圧力は高石垣になるほど相当の応力に耐えなければならないし、また幾分の石垣目案の変形を予測しなければならないはずだ。事前に内側に湾曲施工することで、積み石を固定しない石垣の変異や変形に対処したことも考えられる。
大変な企画力とその労力
机の上でさえ、きれいな曲線を描くのは大変である。まして、高さが二十メートルにもなる連続する城壁を少しの狂いもなく曲面に施工することは、その技術力はもちろん、大掛かりな事前の準備と曲線の美を求める強固な意志が隠れている。 昔の人達はどのように、現在に残るきれいな石垣曲線を施工したのか分からないばかりか、その記録さえ全く残っていない。
城石垣の施工には、今なお、多くの施工内容に分からないことがあるが、その最大の難問は、きれいに聳え立つ石垣稜線の施工をどのように計画し実施したのかです。
私が石垣を修復するときは、その曲面を施工するために、事前に精巧な丁張(施工前に実際の形状を片板などで正確に製作すること)を行い、念入りな出来上がりのチェックをすることでした。
私の経験から言えば、高さ二十メートルの石垣規模でもほんの一センチ、二センチの凹凸の違いで、異形に見えることです。
往時の石垣を見るたびに、どれほどの精神を集中して施工を行ったかが、何より、その美的センスに感嘆するものです。
城石垣が曲面でなかったら、全く違う景観になっていたはずです。
石垣上部に聳え立つ複層の櫓建物や連続する漆喰塀の下の石垣面が、直線的で垂直な構造物だったら、どれだけ無粋なモノか、誰でも理解できることです。
戦国大名の「粋」⁉
日本の「モノづくり」に対する伝統的な考え方なのかもしれないと私は思っている。自然や生活環境の中で、特に日常的に視覚に入るものに「調和」を求めるような強い感覚が日本人にはあるのかもしれないと。人間が創り出すものでも、たとえ城壁であっても、環境の中に異を唱えるような「モノづくり」を嫌い、画一的で平坦でないもの、自然の造形やその光景にないものを嫌った結果なのかと、私は考えている。
観念的な言い方だが、往時の人間はそれほど城石垣の均一化を嫌い、使う場所によって勾配を変え、曲率を変化させた趣向を石垣築造でも、大変な労力をかけ行ったのだろう。
自己顕示欲が強い戦国大名が身に着ける派手な衣装や鎧兜、異常な執着を見せる文化的なモノ、お茶や茶器、侘びや寂びへの傾倒を見れば、己が居住する城郭の石垣に、均一で表情のないものなど使う訳がないと考えれば、少しは納得できるのではないかと思っている。
(その意味では、現在の石垣修復工事は表情のないものを造っている。些細と思える配慮をなくしたら総体としての歴史的な価値を損なう結果になることは明確である。何より、構造物総体としての文化的な価値に、配慮や復元しようとする意志が欠けていることが問題である)
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