4. 少しぐらいの批判もないのか 

熊本大地震の被害を検証する。

巨額の費用を投じて熊本城跡の再建が進められています。天守閣の修復は終わったようですが、最大の被害を受けた石垣の修復についても今後相当の時間と費用が掛かるものと思われます。

 2016年四月、熊本地方を襲った大地震による史跡熊本城跡の破損とその被害は日本中に大きな衝撃を与えました。築城依頼、四百年以上たち、今なお日本一の城郭遺構を遺す城跡が無残に崩落、崩壊する様は今なお記憶に残っていると思います。その中でも、石垣の被害は大きく、誰もが残念な思いに陥ったはずです。

しかし、私が指摘するのは、見過ごしている大きな問題があることです。修復工事を急ぐ前に崩壊の要因について検証すべき当然のことがあり、今後の修理修復に禍根を残さないための必要なことです。

ただ「地震被害」と片付けていいのか。今後の課題!

検証すべきことは、その地震被害とその箇所のことです。
「大地震の振動による被害!」といっても、破損崩落した要因も、原因があるはずです。地震による石垣被害や崩落の原因は一般的に

  • 石垣の石組の崩壊なのか
  • 地盤や石垣裏側の栗石や盛土の振動崩落なのか
  • 従来から破損変形した箇所の崩壊か
  • そして、新しく積み直した不良のモノか

に分類できるはずである。熊本地震被害の中で、目視でもこのような指摘や報告が出来るはずであり、今なお、破損石垣に記録されていることはありません。特に指摘したいのは、石垣被害の中に「近年、積み直され、復元された石垣」です。今後に、大きな問題を暗示するはずです

今回の地震被害で、まったく荷重を受けないような石垣でさえ崩落していることに問題にすべきなのです。近年積み直され復元した石垣にその破損が多く見られることは、今後の修復工事に多くの課題を見て取れるはずです。
また、同じことを繰り返すことになるからです。

「美談」のように扱われてないか?

私が地震報道写真を見て強く疑念を持ったのは、マスコミでも多く取り上げられている隅櫓の下の石垣が角石積を残して崩落している「飯田丸櫓の石垣崩落」の写真です。「角石積が残って櫓を支え残した!」と、まさしく「美談⁉」のように報道されていたことに私は怒りを感じていました。
私は全く違った見方をしています。
たいした荷重(櫓建物など)もかかっていない石垣が無残に内部から崩落しているさまは、地震の振動が原因でも、その崩落を起こした要因が別のところにあることを物語っている。石垣構造では、比較的強度のある櫓台石垣が、あのような無残な壊れ方をするのは、石垣内部に問題があったからです。
日本の城石垣の構造を理解していない端的な崩落例です。 明治後半以後、西洋土木工学の影響を受けた考え方が「擁壁」と「城石垣」を同一視している職人や専門家が間違える端的な例です。

「価値」とは何か。
 熊本城石垣の話に戻そう。何が「大事」で何を「遺す」のかを真剣に検討してほしいのです。先に示した「飯田櫓台石垣」だけではありません。その他にも、多くの個所で見られます。
熊本城の石垣は戦国末期から江戸時代初期の石垣、最も石垣の構築がされた時代のものです。日本の城跡の中でも最もその時代の石垣やその景観を現代に遺すものです。大変貴重なものであることは、だれも異論はないはずです。
崩落の本当の要因を探ることなく、その景観に似つかわしくないものが再現されるのは誰も望んではいないはずです。

「中抜け」という現象
 上の写真は、熊本大地震で「美談」のように報道で扱われているものです。近年の石垣復元工事での石垣構造への誤解が生む典型的な崩落です。崩落の要因は石垣内部からの崩壊で、内部の裏込めが表面の石積を突き破るように崩落した例です。
地震時に地盤面からす砂が噴き出す「流動化」と同じ原理です。  「裏込め栗石施工」についての誤解による「振動による」崩壊です。現在の裏込め施工(玉石等の投入)についてその振動対策を何らしていないことによるものです。角石が残ったのは、上部からの櫓の荷重が角石積に掛かっただけのことです。

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