私はもう七十になるものです。改めて人前に自分の意見を書き連ねるのは、その発端があります。数年前に起きた「熊本大地震被害」での熊本城跡の石垣修復が始まり、そのテレビ等の映像から、余りに情けなく、心の底からの怒りに似た感情が沸き上がってきたからです。
大規模な修復工事を始まる前に、地震の石垣被害に対する何らの検証もなく、復旧を行われていることに不満があります。そして何よりその石垣修復の構法に怒りを感じたからです。地震被害でさらけ出した近年の石垣復元箇所の崩壊についても、何の反省もないからです。また同じ誤りを後世に遺すのかと、私の石垣に対する思いを、公表せざるを得なかったからです。
熊本城跡の石垣復旧で大切なこと
私には地震による「熊本城石垣被害」について、何の問題や疑問も公に指摘されないことに不満を持っています。 また、地震災害から石垣修復が始まる中で‟伝統的な手法”とやらに、大きな疑問を持っているものです。
熊本城の石垣の価値は何か、を大事にしてほしいのです。戦国末期からの[往時の石垣]が、全国の城跡で、構造としても景観としても最もよく遺しているのが熊本城跡の石垣です。時代を象徴する、「力強く、より高く!」を代表する日本の最高傑作のものです。そのことは誰でも熊本城の石垣の前に立てばば理解できることです。
今後、安易に修復される石垣が「情けないモノ⁉」ではあっては欲しくないのです。
なぜこの掲載を始めたのか?
このブログでは、石垣修復工事の何が問題か、そもそも石垣とは何かを私なりの経験から思索した結果を示したいと思っています。何が城跡の石垣が、世界に類を見ない構造物なのかを自分の経験の中で思索したことを示したいと思っています。
そして、日本固有の城石垣の構造から、いまだ解明されていない往時の構法や築造の方法などを明らかにしようと思っています。加えて、全国各地で行った城郭等史跡整備活用事業の経験からの、今まで語られたことがない城郭の特徴や史跡の見方、そして多くが誤解されている往時の城郭の光景を紹介したいと思っています。
城跡を含めたいろいろな歴史文化財の修理や整備で体験した想い、特にもっとも戦争をしていた時代の城跡について、歴史物語でない「新たな視点」を提示したいと思っています。
地方の活性化等の問題、行政の課題、そして関係した多くの人達の想いを書き残すことを「義務」だと、今になって私は考えている次第です。
歴史文化財活用から、文化財の保存や人材育成の課題、伝統的価値や技術を失っていく社会で、城跡の石垣修復の情けない現実を代表例として、できるだけ率直に書き残したいと思っています。
私が城跡の石垣の構造やその今に残る疑問や課題について書き記すことは、初めてのことです。
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