2. 我々に城石垣は修復(なお)せるか【2】

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近年、修復された城跡の石垣について、疑問を持っている人は私だけではないはずです。

戦国時代末期から江戸時代までの石垣と近年修復、復元したものがあまりの違いに違和感を持っている人は多いはずです。遠目に見てはその違いに気が付かないかもしれませんが、間近かで見る新しい石組に、城石垣が持っている力強さや時代的、伝統な価値が、失われたように感じる人は多いはずです。

 世界に類例がない城石垣!
    日本の城石垣には、世界に類例がない「特徴」があります。独特の構造と、何より「景観への強い意識」が強烈に存在しているのです。 往時の人達のモノづくりに対する考え方やコダワリと言ってもいいかもしれえませんが、我々には想像を超えるものです。
私達は理解しているようでも、城跡の石垣については構造的にも、築造の工程さえも解明されていないのが現実です。
(城石垣の特徴や構造、その不明なことは後に詳しく記載します)

城石垣は、その時代の文化そのものであり、時代が創造した代表的な構造物の一つです。「茶道」や「華道」と同じ芸術の領域にあり、当時の人達が創り出したもう一方の強烈な日本特有の「文化」そのものように、私は思っています。

何故分からないかを説明します
 「なぜ四百年以上も城石垣が保っているのか」との簡単な問題が、そもそも解明できていないのです。石材のピースを固定もしないで積み上げたものが長年維持できるのか、理解できないのです。それも、西洋やアジアの城壁の構造物と違い、単純に積み上げたものでもないから不思議です。
そして、石垣面が造る「景観づくり」に対する洗練したこだわりは、理解されているようで全く私たちに理解されていないことです。
現在、私達が何気なく見ている城石垣の曲線の変化する形状は、当初からの「強固な意志」によって造られているものです。
城石垣を見ていると、目の前の技術だけではなく、当時の人たちのスケール感やモノを見る能力が圧倒的に違うことを認識せざるを得ません。ただ、その感覚や技量は、いつの間にか時代ともに廃れてしまっていることです。
何より重大なことは、その構造や安定の仕組みが理解されなくなったことです。

 「時間とともに失っていくもの」か?
 私は過去に城石垣の修復復元の経験を持っています。だから、現状のあまりに情けない「石垣修復とその手法」について、文化やその価値を失う結果になると思っています。近年修復した石垣が地震でもろくも崩落している現象を見ているはずです。
時代や時間によって「失っていくもの」については仕方がないものと思っています。城石垣でさえ技術の頂点は江戸時代の早い時期であり、それ以後衰退の歴史を持っています。今、その伝統や技術を受け継げるものではありません。
ただ、技術を知らない自称、石工職人や専門とする学識者の「伝統を護る⁉」の言葉には我慢ならないのです。
ゆえに、私なりの明確な発信をしたいと思っています。

 解答を発信する訳ではありません!
 文化財の伝統的な工法や構造、その考え方について、いまだに多くのことが分からないのです。私なりのアプローチでその解説を設けたいと思っています。
例えば日本特有の城石垣に向き合って、疑問に思えること、構造的な課題、そして解決できない「時代とモノづくり」のことについて、私なりに経験し、試行実施した結果について、書き連ねてみたいと思っています。

現在の修復や復元のために工事が、伝統も、文化的価値も著しく失う結果になっていることを解き明かしたいと思っています。

 

 

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