先日、ニュース報道で、七年前の大地震で崩落した熊本城の有名な櫓石垣の復元工事の様子が映し出されていました。
私にとって石垣工事の際、最も難題であった「高石垣の復元」をこの掲載に忘れていたことを気が付いた。求められる忠実で安全等多くの要求と「伝統工法での再現」の葛藤尾です。石垣構造自体が持つ「不安定さ」に葛藤、躊躇した経過を書き残す必要もあるか気づいたのだ。ちなみに、私が担当した幾つかの高石垣に、大きな地震を経験してもまだ変形したとの報告はまだ受けていない。
幾度かの城石垣の高石垣の復元工事において気が付されたことがある。 「現在の立ち位置」を我々は誤解していないのでは無いかと思うことである。この安寧とした世の中で「伝統を守る」と人は口に出し、「文化を受け継ぐ」と自負する人達が沢山いる。あるいは、傲慢にも思えるその言動に我々の時代が、そして社会がその素養を持ち得ているかを疑問に思ったことが無いのかと思ったのだ。緊張感を失い、受けつぐ感性を持ち得ているとは思えない時代に、何を護れると言うのだろうかとつくづく想ったことがある。
「高石垣」の復元は別物なのです。
「高石垣」の築造につて、小規模な石垣築造の延長のように現在の文化財修復が施工されていることが、私には納得いかないことです。
伝統的な継承も技術力も失い、何よりその価値や存在への疑問をも見ることもできないのが現在です。 近年、各地の城郭跡で盛んに復元される「高石垣」の復元について、数年のうちに変形をきたし、ハラミ出し等変形により危険な構造物になっている事例があるのをご存じだろうか。我々伝統を受けつぐことが如何に困難かを見ることができます。
私の経験から言えば、何ら新たな対策もなく高石垣を復元することは文化財そのものを失うことと安全を無視した「無謀」としか思えない行為なのです。
高石垣の特異性!
日本の城郭の中でも「高石垣」の存在とその構造は得意なものです。
現存する「高石垣」の遺構は、城石垣が最も多く築造された時代、戦国時代末期から江戸時代初期のそれも二、三十年内外の間に築造された城石垣のみが現存しているのです。それ以前も、それ以後の築造は悲惨な結果を招いています。
石垣上部の一部の積み直しや改修の痕跡はあっても、その石垣の構造の根本は当初の時期のものなのです。観光地になっている多くの城郭祉の、まるで見上げるような美しい曲線を描く高石垣は、すべてが石垣築造初期のものなのです。
伝統的な城石垣施工でも同じことであり、小規模のものは誰でも施工可能だが、規模が大きくなるとその安全が担保できないことは近年の復元石垣工事で証明されていることです。現在、文化庁や各地方自治体は「貴重な歴史文化財」であることを理由(基準法の除外規定)に安易に,大規模な石垣復元行為をしているが、その安全性を確保するために何らかの注意喚起をすることもない。重要建造物の地震対策(近代的な構造補強がなされている)や規制が必要な時期であると考えるのだが私だけだろうか。
私は多く城跡で石垣の復元工事を指揮してきたが、高石垣(高さ二十メートル内外のもの)について、全く「別物!」としての石垣構造を考えてきた。構造安定の仕組みが、未だ解らないことが多く、今なお存続している理由を解明できていないからです。
高石垣の技術とその問題点
一般に高石垣について、その高さや規模が決まっている訳ではない。
私は、その目安を約八間(15メートル)以上を「高石垣」と呼んでいる。その規模になると、背後からの相当の土圧や水圧に対抗しなければならないことは当たり前だが、小さな振動でも自らの荷重や重力で変異変形を起こし易いものであるからだ。
日本の城石垣は、いわゆる、土木工学で言う擁壁とは異なることは前にも書いている。擁壁とは、その壁面が背後からの土圧や水圧を支える構造体であるが、日本の城石垣は「支える」訳ではなく、バランスで成り立っているような構造体である。(詳しくは、以前に掲載した「日本の城石垣とは」)
問題は、施工時に構造体(バランス)として成り立っていても、何百年、いや何十年で災害や大雨の被害、なにより怖い地震振動での構造の変異をきたすのは当然であり、その対策は検討すべきことである。
ある意味、何百年も維持している往時の高石垣やその景観について、我々が同じように再現できると過信しているしか見えないのです。
高石垣への挑戦
私が石垣構造の根本を突き詰めることになったのは高石垣修復工事に向かい合った時なのです。城石垣築造については以前から、崩壊の仕組みや変形の要因、不足する技術力とその安全性確保を現場で考えていたのだが、高石垣修復工事にあたって、新たに「なぜ、今まで四百年以上維持しているのか?」の疑問を真剣に考えるきっかけになった。不安定な構造物である石垣が、多くの地震や災害を受けただろうに、未だに構造体を維持していることに、構法や手段として何らかの方法があるのではないかと突き詰めた契機になったものです。
私が設計監理した高石垣修復等工事は甲府城(舞鶴公園)跡の鍛冶曲輪高石垣修復、青葉城本丸跡の高石垣、そして松江城の虎口正面にある高石垣の解体修復工事がある。
三か所の大きく変形し、崩壊の危険性のある石垣はそれぞれ変形や破損状況に特色が異なり、石積や石材としての特性も異なっていたのです。
次回、高石垣に挑む(Ⅱ)へ続く。
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