違和感がない。

城石垣とは

(城石垣へのアプローチ)

言葉でも写真を掲載しても、その意味を説明するのは難しいかもしれないと私は想っている。「違和感がない」とは曲面の石垣面が織り成す光景から受ける総体的な印象のことである。日本の城石垣特有の「築造された光景」を解説、説明する私の感想でもある。

城石垣を修復する側にいたからこその私の印象だと思っている。複雑で重なり、変化する石垣曲面を、どの視点からも「違和感なく」その表情を見せる方法が最大の難問だった。
例えば、正面から見れば真四角なものも、斜めから見れば尖ったものに見えるように、その表情は変化する。人間のように動く視点からは特に難しいはずである。

何に根拠にし、昔の人達が企画実行したかが分からないのだ。今まで、誰も指摘して居ないことではあるが、自分なりに「違和感のない光景づくり」について、思索実行した内容を出来るだけ分かり易く書き出してみたいと思っている。

(坂道を登るような景観では、石垣勾配の取り方が特に難しい)
 

ただし「違和感がない」景観とは、私にとって石垣の築造年代を測るときに見る根拠の一つでもあります。戦国末期から江戸時代初期の石垣築造に、その洗練された感覚を有する「違和感のない景観づくり」が城跡に存在するのである。その光景は「研ぎ澄まされた時代の感覚!」とも想える光景です。

 震えるような緊張感!

 石垣修理工事を管理監督しているときに、足が震えるような緊張感を体感するときがあります。石垣修復を始めるまえ、事前にその石垣勾配を現場で決めるときです。

私が破損変形した石垣修理を始めるときは、事前に築造する石垣を想定して、約二さんメトールおきに丁張を組み、型板でその勾配を想定し、糸を張り、全体の石垣修復面を仮に策定する。石積工事を始める前に精密な出来上がり形状の寸法のチェックをすることにしていた。何より修復する石垣の形状や勾配、その曲面の景観の確認が重要であるからだ。

高石垣修復になると、仮説の丁張の規模は相当の工事行為になるが、何より出来上がりの微妙な形状を厳密に把握、確認することが目的である。一般の方には解り難いだろうが原寸大の石垣面の型板を造ることと同じ行為である。実感としては、ミリ単位の勾配の変化や誤差で違和感がある石垣面になり、総体としての城石垣の景観を失うことになる。

 職人には目先の調整は出来ても、全体の形状の決定は出来るものではない。勢い、私が決めるのだが、足の震えるような緊張感に何日も苛まれることになる。特に、坂道にある城石垣の傾斜勾配の決定など変形の石垣面を持つ城石垣には、大変な思いをしたことが記憶している。

人間の視点とその見え方

人間の視覚は、視点が移行するときの視線やその視線から受ける造形物への印象は大変複雑である。 日本の石垣の様に勾配を持たせたことによる光景は、視点をどこに置くかによって見え方が大きく違ってくることがある。正面ばかりが正解ではない。斜めから見る石垣の形状も、道の脇に造られた石垣への変化する視線をも意識しなくてはならない。ただ、垂直な壁面はそんなことも意識はしないが、勾配を持った石垣面はそうは行かない。「違和感なく!」構造物として成り立たなく

てはいけないのである。

仮に延長のある石垣に変化を持たせない場合は、中央部がどうしても「孕んだように」見えてしまう人間の視線の特性がある。 

斜めから見える石垣は、少しずつ、勾配の変化を持たせないと「美しく」は見えない。

特に石垣の光景を意識するのは、坂道の片側、もしくは両側になる石垣の「景観づくり」である。上端を揃えた、高さが変化する石垣の勾配(曲率)を決めるときが、一番困難を憶えたことを記憶している。

 (分かり難い話を延々と書いたが、「違和感がない」とは簡単に皆さんが城跡の観光地に行き、写真を撮りたがる石垣です。「美しい」とか「力強い」と思える石垣の光景は、そこに「違和感がない!」という往時の人達の大変な力量を示す「痕跡」なのです)

 城石垣築造における最大の「難問」

当時の築城時の情景を確かめるすべがないのだから仕方がないが、昔の人達が石垣規模を計画し、現場で正確にその形状を造り出す施工の方法が分からないのです。時間の鏡があったら是非に覗いてみたいと常々思っていたものです。
 曲率によって城壁を築造することは、困難をもたらすと思うのだが、その「一様でない曲面」を創り出す施工方法を石垣築造の早い時期に当時の職人は獲得しているのです。
 その趣向は、日本のあらゆる地域で城壁石垣で確認できることが不思議でもあります。石垣の積石用材の種類は異なっても、積み手の人間が異なっても、城造りへの景観の意志や価値は統一されていたようにも見えるのです。

 往時の人達は自ら居住する城郭に、何より「美しさと違和感のない景観」を強く意識して造られている、と思えるのだ。

 我々は、出来上がったものを見ている

その石垣の景観に「意識された美」について「造る側に居た私!」からすれば、不可解で大きな難問を突き付けられた想いだった。 
 崩落した城石垣の修復時、何より意識したのは遠景からの、そして動く導線からの「違和感のない光景」を石垣の壁面に追求したのだ。
 ただ、私が行うのは往時の石垣の痕跡が残る処や根石が残る状態から作り上げる石垣である。往時の人達の様な全く、何も無い処からのものではない。当時の人達の文化的な素養の高さとその感性に驚嘆するばかりだった。

 そして「我々に、本当に城石垣の修復は出来るのか」と何度も思い悩んだことを記憶している。

コメント

タイトルとURLをコピーしました