いわゆる、土留めの「擁壁」と城石垣の構造は根本的に違います。その最も端的な例は、石垣の前面に積む石組は「自立しない」ことです。
石工職人も石垣の専門家も、擁壁と城石垣の構造を混同している人が多いが、自ら「自立」し背後の土圧から崩壊を防ぐのが「擁壁」であり、城石垣の石組の構造は自立しないもので、それ自身では瞬時に崩落してしまうのが特徴です。
「石垣はバランスでもっている」と言う職人も専門家もいるが、正確な表現ではない。そもそも、自立しない構造の集合体が城石垣であり、前面の「石積」であり「裏込めの栗石」であり、裏盛り土である。施工的に解説すれば、最も強度が望める裏盛り土(締固め)に石組も裏込め石も「凭れている」のが正確な言い方であると思っている。
何故、「自立しない」構造体を城壁に採用しているかを今まで誰も解説、指摘した本はない。石垣を修復する立場にいた私が、可能な限りその難解な理由を推測、解説したいと思っています。
「自立しない」ものを¦
城石垣は城壁である。日本以外の国々で城壁は堅固に固めるものである。普通に考えれば、守りを固めるため、前面を構える石垣を固定するような強固な施工をするはずである。
しかし、日本の城郭での石垣築造では、敢えて前面に施工される積石は固定しない構造であり、加えて積石に勾配を持たせ(背後にもたれるように)積み上げるだけである。積み石の裏側になる裏込めの栗石も、投入するだけで、不安定な構造体の集合体でもある。
固める方法がなかった筈はない。漆喰(砂漆喰)も石灰の使用は一般的である。敢えて固定することを採用しなかったことに、大きな理由があるはずである。
しかし、その構造様式は中世戦国時代以来、趣旨一貫して採用している日本特有の石垣構造である。不思議に思えるくらい、全国一律にこの様式を江戸時代末期まで採用し続けているのです。
日本的な感性?
石垣は高さを競ってきた。城壁であるからこそ「垂直に」高く積み上げ、防壁とするものである。しかし、日本の「モノづくり」の感性や感覚は、全く違うようである。
西洋など他の国の城壁の施工は、前面の壁面、石積やレンガ積み、コンクリート壁を優先先行して造り、その裏側は壁面が出来上がってから埋め戻すように造る。すなわち、前面の壁面構造が自立する強固な構造体である。
しかし、日本の城石垣は前面の石積みの施工と同時に裏込栗石の投入、裏盛土の施工をする。一体で施工しなければ石垣として成り立たないのである。この施工手順の違いが、構造を比べるうえで決定的な違いであるといえる。
土留めの石垣との違い、日本人的感覚?
城石垣は土留め石積から進展したものであるが、土留めの石積と城石垣の構造は明らかに異なる。そして城郭への最初の石垣利用は、門石垣であると私は思っている。門虎口が防御や構えに何より重要であるからだ。 城壁とは、当たり前だが「立ちはだかる」壁面であり、行く手を阻む障壁である。
しかし、その城壁も、勾配(傾斜を持つ)を持ち、自立しない構造体である。初期的には、使用石材が自然の丸石や割石であるために、壁面に勾配を持たせないと積上らないことがあるかもしれないが、積石が整形され、切り石になっても勾配を捨て去ることは無いのが、独特の感覚である。
それは日本的な感性かもしれない。視覚的な問題(次回に掲載する曲面である!に解説する)があると思っている。不思議な感覚にも思える行為だが、構造壁でさえ単純な構造物にしない日本人の「粋!」なのかもしれないし、文化なのかもしれないと私は思っている。
観念的な言い方だが、往時の人達は城石垣でさえ均一化を嫌う。例えば、城内の門虎口に同じ様式の門構(もんがまえ)を用いないことと同じように、構造物が創り出す景観に多くの変化や勾配を変え、石垣が創る光景を変化させているのである。
コメント