曲面であること(1)

城石垣とは

日本の城石垣はすべて、曲面で造られている。世界にその類例がないものである。

松江城二の丸石垣


石積が城郭に使われた中世戦国期から、江戸初期の最も最盛期の城石垣はすべて複雑で難解な曲面で造られている。そしてすべてが一様でない曲率で造られているから不思議である。何故かは分からないが、その手掛かりらしきものはある。私なりに、その意図についてアプローチしてみたいと思います。

大きな構造物を造るとき、水平であること、垂直であることを視覚的に意識させることは、大変な経験とそのセンス、そして技術的な蓄積が必要となる。
例えば、大きな寺院の建物の軒先の「水平」など大変な苦心が求められるし、逆に「水平や垂直に見せる」ためには、実際に水平、垂直であることはほとんど無い。時には、人間の視点やその感覚によるところである。直線ではなく、曲率を伴うような勾配を持つ城石垣では、多くの工夫が必要であったはずである。

 長年疑問に思っていたこと!

 何故、日本の城石垣は曲面に造られているのだろうかと、長年考えてきた。城跡の石垣修復工事の時、必死になってその謎を解き明かそうともした。多くの城跡を訪ね歩いた、特に初期の石積から最盛期の「打込接(自然割石の石積)」の遺る多くの城跡を見て、その手掛かりを訪ね歩いたことがある。

私が幾分理解し得たことは、均一ではないこと、石垣を築造する場所(門虎口、郭を囲む石垣、櫓下の石垣など)の違いによって石垣勾配を変化させていることだった。
そして、石垣築造にかかわる歴史書の「〇〇家文書」や「秘伝書」として伝わる古資料で記載された石垣勾配の取り方などは、現存する城石垣と明らかに違っているし、そのように単純でもないことは明らかだった。

 具体的には、前面に立ちはだかる門虎口の石垣は、直線(垂直)的に、郭造成のための石垣は勾配を持たせ安定を優先し、また櫓建物が載る櫓台石垣は稜線を強調するように曲率の複雑な手法がとられている。

 逆から観れば、なぜこんな複雑なことを考えたのだろうかと思っていた。何かしらの基準や手引きがあったはずだが、その明確な答えは分からずじまいだった。しかし、石垣を築造するための企画力と創造するための労力を考えれば、一職能や一職人が意識して造れる空間では無いことは確かである。

 石垣の位置と役割「敵と味方」

 日本の石垣築造は防御壁としての役割は、石垣で造られる上部に塀や櫓建物と一体となって成り立つものである。ゆえに、築造の最初に時期に石垣の完成する出来形(上部の建物に合う平面形)のイメージが明確に出来上がっているはずである。石垣勾配に変化する曲率を設けることは、基礎石の位置決めの時点で設計図が出来上がっていなければ複雑な曲線は制作できない。高石垣築造など、均一でない勾配を取る石垣の出来形が当初より、その差配する人間の頭の中に「出来形!」が完全に出来上がっていたことを示すものである。

 私は何処かに、全体を見通す「視点」を意識し、重要視していることが石垣に均一でない勾配を持たせているかと、思っていたことがある。城構えを見通す「視点」なのか「視線」なのか、より調和と力強さを意識した景観を創り出すための石垣の曲率でないかと思っていたこともある。

 しかし、なぜそこまで複雑な景観を創り出そうとしたのか分からないし、特定の視点の位置も分からなかったのである。石垣を見通す光景は「攻め込む敵」を意識したのか、それとも日常的に通り過ぎる「味方」を意識したのか、今もって明確な判別は出来ていない。

  次回、「曲面であることⅡ」に続く

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