日本の城石垣とは何か(3

城石垣とは

滅びゆく文化か?

 ある有力大名の歴代藩主の墓所についての保存保護のための「保存管理等計画策定」を任された時、その墓所の築造の見事さに驚き、そして今の世の中で失われていく「文化や伝統」について考えさせられることがあった。

「文化」と「伝統」そして「受け継ぐ」こと

 墓所は、藩の歴代藩主とその一族のための墓所で、山の中に参詣のための通路をまわし、山中に歴代藩主ごとに墓所を構えた特徴的な墓所だった。
歴代の藩主夫婦の基壇を備えた墓石構えの見事さもあるが、私が興味を持ったのは、参拝のための墓所に至る斜面の木立の中を登る幅一間にも満たない自然石の階段だった。その石階段は踏面(フミズラ)を持った自然石が選ばれ、土だけの押さえで造られているものだった。踏面を持った玉石を選んでくるのも大変だが、それを土だけで階段を維持する技術の確かさに驚いたのだ。その趣向を幕末まで受け継がれているのが、驚愕したことを憶えている。

山中のところどころに設けられた墓石の加工や規模ばかりが目に行ってしまうが、散策路のように山中を石張り通路でつなぐ趣向も、そして何より斜面に「わざわざ」自然石(転石)階段を選び、代々その形式を守る「文化」高さと、その意向を組んで造り上げる「伝統を護る」確かさに感嘆するばかりだった。
当然、現在は傷んだ階段の修復など、我々にはできる訳もなく、玉石は「角」を持つ加工石で施工されている。「どのように造られたか」とその血筋の人に聞かれた時、「土に長けた職人」と「形のいい自然石と良質な土(ハガネ土)を大量に持ってきて」現場でその中から選んで修復するしかないと応えたと思っている。

 滅びゆく文化か

 「伝統を護る」と言う人達は沢山いる。  城石垣修復においても、「伝統を護る」という石工職人がいる。情けない表面的な「真似ごと」の石垣修復工事で「文化」を再現できると思っている人達も、それを許している専門審議会委員も行政もいる。

日本特有の石垣構造を理解して、強固な城石垣を造るのであれば、まだ考えようもあるが、不完全で不安定なものを「修復」として、何度も崩壊を繰り返している.
日本の石垣築造の「伝統」は明治時代以降、社会の変化からその文化も技術の継承も大きな損失を受けている。単純に、城の管理維持をする役職がなくなれば、その伝統の継承は困難になるのは当然です。

それを証明するように、石垣構造の理解も職能も職人の存在も、社会からなくなっているのです。学問としての歴史を専門とする「有識者」がその技術や職能を理解している訳でもなく、「木立の中の自然石階段」の様にその文化的な視点も、失われていくのかもしれないと思っている。

これも感動する自然石の階段通路(八王子城、御主殿にあがる通路)

端的な事例を紹介する。

 石垣は日常、住宅街の造成でも田舎の畦道の脇にも、庭園の中の石組にも頻繁にみられる構造物である。しかし、その工事発注のための設計書を作成するとき、大変な困難に出会うことになる。

 私が石垣修復等工事の設計書を作成するとき、昔にあったであろう石積工事の「標準歩掛書」を探し回ったことがある。  明治期に書かれた工事の「仕方書」や農業土木の施工歩掛の中に石積(玉石積)の施工のための歩掛が見られたが、城の石垣とあまりに規模が異なることで参考にならなかった。一般には建設調査会が隔年発行する各種施工の「標準歩掛書」が一般であるが、そこにある「人力、石積工事」の歩掛は、昭和三十年代中頃までは在っても、それ以後は掲載されなくなっていた。所謂、一般工事ではなくなっていたのである。

日本の城石垣を遺すため

 城石垣は「歴史遺産や文化」と言っても、芸能や芸術と違い、崩壊すれば人の命を脅かす土木構造物である。日常的に管理維持が必要なモノであり、地震や雨水等浸透水の対策が求められるものでもある。落石や石組変形の対処をする必要もある。それこそ、江戸時代の「普請方」の様に維持管理をする役職を忘れているのです。

 歴史文化財保存を担当する行政は、もう一度自分たちが置かれている状況を理解すべきだ。全国に数えきれないほどの城跡があり、大規模な石垣がいまだに遺っている。阻止お手何より城跡を愛する多くの国民がいる。

熊本大地震の様な突発的な災難もあるし、今後も大きな地震が起こることも間違いない。根本的に、「城石垣そのものの文化」とは何か、伝統技術とは何かから見直し、学識者に任せず、技術者の育成と「文化財保存」の社会的な認知拡大に努めるべきだろう。

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