日本の『城石垣』とは何か(1)

城石垣とは
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これからが本番です。難解で疑問だらけの城石垣ー戦国大名達の傑出した美意識に迫りたいと思っています。

大分県、「荒城の月」で有名な竹田城

敢えて「日本の」と表題に入れたのは、日本以外にその構造的にも、石垣構造が作り出す「景観」も他に例が無いからです。

中世戦国時代の戦乱の中で養った感性か、あらゆる物事に対する「研ぎ澄まされた感覚」なのか、世界的にも特異な構造物を造り出しているのです。中世戦国時代に、今に伝わる多くの文化や芸術を創り出すような人材の輩出がなせることも思えるものでが、これこそ、日本特有な「文化とその美意識」なのかもしれないと私は思っている。

その特異で独創的な構造が創り出す景観について、今まで誰も具体的な解析を試みてないことが不思議です。単なる斜面の崩落を防ぐための石積から城石垣へ変化進展するための多くの試行があったはずだが、短期間のうちに成し遂げる城壁としての構造体は「日本特有の城石垣」なのです。

単なる「擁壁」ではないこと

日本の城石垣の構造は土留めとしての「擁壁」とは違い、単純な構造体ではない。なぜ、これほど複雑な構造体を想像したのかも、複雑な曲線が形作る景観の意図も、分からないのです。構造の仕組みとしては弱体化するような工法を敢えて採用したのかも、不思議で仕方がない。
中国の城壁も、西洋の城壁も知っていたはずであり、世界中の城壁は垂直であり直線的なものである。

日本のそれは全く違うのです。石垣の創る景観に構造的な美を追い求めたことがあります。その一貫した視点は驚嘆するばかりです。構造的な強度を放棄しても、城壁としての城石垣が創る景観をより重視したように、私は想っています。

従来の石垣解説では

城石垣の進展は一般に、初期の段階で自然石を積石に使った「野面積」から技術的に完成する「打込接(うちこみハギ)」を造り上げ、積石材の加工精度を高めた「切込接(キリコミハギ)」に達すると分類整理されている。
しかし、これらの呼び名は、積石の表面的な積石の仕様の変化であり、構造自体を案内、解説するものではないのです。また、石垣の城郭の利用は、戦国時代末期に、石使いに長けた一地方の職人達が石垣を使った築城に貢献したとしている。「穴太石工」と言われる集団であるが、明確な資料は残っていない。古文書には「アノウ」という言葉が見かけるが、私は「アノウ」はとは、職能、今はなくなっている「積み石工」を総称した呼び名だと思っている。

また石垣の築造や構造を解説した古文書が少なく、「〇〇家秘伝書」やその石垣勾配の取り方について「規方、矩合の図」があるが、現存する石垣の多くは、これらの史料で記される内容より複雑であり、難解なものである。

修復する側にいた私から見れば、これら城石垣に対する史料や解説は、ほとんどが表面的な形状や仕様に沿ったものであり、石垣内部の構造やその構成を語ったものはありません。
日本独特の城石垣の構造や構築の視点から「日本の城石垣築造」を語る必要があるのは当然です。

私たちは、昔に出来上がったものを感嘆することはあっても、複雑怪奇な構成や構造で成り立っていることに気が付く人は少ないはずです。圧倒的な景観に感激することはあっても、その景観を創り出す複雑で細部にこだわる造成は、経験なくしては分かりづらいものです。とても、表面的な石材の仕様の分類で理解できるものではありません。

そして付け加えるならば。
 時代とともに人間の感性や感覚が進歩している訳では無いということが、城石垣の修復を経験して私が得た感慨です。

例えば、全国的に残存する江戸期の石垣で。高石垣(高さ十間程度、約20メートル内外の石垣)は戦国末期から江戸時代初期に築造されたものしか現存するものはなく、石積の技術も時代とともに衰退していきます。

江戸時代の平和になって、必要とされないことが原因か、その繊細な技術も、石使いの専門性も江戸時代中期以降、現在まで衰退の一途を辿っています。

私は学者ではありません。 歴史文化財を修復する現場で工事を監督指導する立場にいたものです。「修復する側にいた」私が、城石垣修復工事でいつも私を苦しめた「三つの言葉」で解説したいと思っています。それこそ、初めての試みですが、内部構造から、往時の人達が考えた「城の景観」までを踏み込んで解説したいと思っています。

それは次の三点の言葉で案内解説したいと思っています。

  • 自立しない!
  • 曲面である。
  • 違和感がない。

の三つの言葉が石垣を表す象徴的なことと思えるからです。

どこまで分かり易く具体的に開設できるかは自分でもわかりませんが、何気なく理解しているように思える「伝統的なもの」に多くの試行が重なり、日本的な「美」を求めた当時の人達の想いを、可能な限り案内解説することで、石垣築造の解明に行き着く突端になればと思ってのことです。

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