城石垣の破損、変形に思うこと(Ⅱ)

城石垣とは

 近年、よく見かける事例ですが、城跡の石垣修復復元したことにより、一年も経たずに大きく変形することがあります。極端な例では、復元した石垣が崩落、もしくはその危険性が危ぶまれる例が幾つかあることです。 ある意味、城石垣の破損や変形崩壊は人為的な問題から起きているといっても過言ではありません。

 原因は幾つかあります。元々の石垣と新しく積み直した境界で引き起こす孕み出し等変形で、境界面の浸透圧の違いにより浸透水が滞留することにより起こる変形破損です。積石と裏側の埋め戻し土の強度の違いや挙動の違うことによって起こる現象です。
 また、新しく積み直した石垣が極端に孕みだし等破損、変形は、積石裏側の「グリ石層」の過度な施工によるものです。挙動が激しい「裏込め層」を厚く施工したことにより、グリ石自体の挙動を積石組が受けきれなくなったことによる現象です。これらのことは、城石垣構造への理解不足が招いている事例で、何年たっても起きている問題です。城石垣を「修理修復」しているつもりでも、石垣構造への理解不足や誤解がその 破損や崩壊の危険性を助長しているです。

 近年の復元石垣の危険性について

 石垣復元後の破損や変形は今に始まったことではなく、私が石垣修理を始める時期、約四十年前にも起こっていることです。特に、近年の盛んに行われている城跡の復元等整備工事でも、同じ問題が起きています。 今の石工職人が城石垣の構造を理解していないし、理解していない石工に復元工事を任せていることが、大きな破損原因を招いているのです。

地震の振動から裏込めのグリ石が石垣を突き破って崩落するようなことや、表面の積石材の配置ばかりに気を取られ、本来の石組を疎かにしていことが、その原因や要因になっているのです。

 近年、復元した熊本城跡の櫓石垣や門石垣の崩落は、それらが関係していることは明らかです。

 時代による変化、そして石工の仕事

 城石垣の破損等要因はその石垣が造られた、また改修積直された時代も大きく関係している。「破損、変形」にその築造年代を出すのも可笑しい様に見えますが、城石垣そのものの強度が職人の質にかかわる問題だからです。
 理由は簡単です。戦国時代末期から江戸初期の時期に石垣築造の技術の頂点に達した石垣は、それ以後長い衰退の歴史をたどっています。そして、その延長線上に現在があるのです。

 現在の石工の仕事のほとんどは「擁壁」としての石積しか経験がありません。積石裏にコンクリートを施工する「練積」という施工で、積石に強度を期待するものではありません。ほとんどの石工職人は積石を「組む」という仕事に慣れていません。故に、「積石を元に厳密に戻す」のような馬鹿なことに職人(職能)として反発しないのです。

 現在の多くの石工に「石組みができない」ことと、過度に期待する石垣裏の「グリ石層の施工」の問題です。まったく、「練積」と同じ構造体と思っているとしか考えられません。

最大の過失、善し悪しの判断

 現在、実施されている城石垣修理等工事の最大の問題は、工事内容の善し悪しを判断する人がいないことです。  どんな優良な工事であっても必ず過ちはあるものである。その対策 のために、事前の入念な協議や打ち合わせがあり、事後の検査検証がある。人の生死にかかわる構造物であれば、尚更、工種ごとに入念に行うものである。

 こんな当たり前のことが城石垣修復工事では実施できていないのである。普通であれば、積み石一層ごとに検査検証を行ってもいいはずである。しかし、その施工内容について「善し悪し」の判断をする人がいないのです。

 国文化庁は地方自治体に任せきりであり、地方自治体に経験者がいるわけでもなく、地方自治体が組織する「専門当委員会」は指導はあっても施工内容に責任をもって踏み込む人はいない。形だけの設計管理者にその能力があるわけでもなく、元請けの施工会社は、経験者も技術者はいる訳も無い。石工職人は、はるかに職能が落ちている現在、自らの仕事を振り返りもしないのである。

 このことは、多くの現場で石垣復旧後の石垣破損や崩落の危険が起きていることと、一般の市民が違和感を持つような修理後の石垣について誰も責任を持って解決しようとしないことに表れている。
 結局、「責任の所在」がないのであり、責任のないところに「仕事の気構え」も「伝統文化」などあるわけ無いのです。

 追加、「なぜ壊れないか?」と思った石垣

 長年、城石垣の破損や変形を相手にしていて、逆に「なぜ、壊れていないのか?」と感心した城石垣が幾つかあった。

 その代表的なものとして、松山市の松山城跡の丘陵上に延々と続く本丸高石垣であり、仙台の仙台城跡の整形した石材を使った本丸高石垣でした。

 松山城本丸高石垣のその素晴らしさを見るには、観光客がめったに行かない本丸裏側に周れば、その高石垣の規模のすごさが分かるはずです。丘陵の先端に沿って、盛土して造られたと思われる大規模で圧倒される石垣築造である。まるで丘陵先端に載せた石垣のようでもあり、過去の歴史の中で大きな地震と振動を受けたにもかかわらず、変形崩壊しないことに不思議で仕方なかった。まして、本丸跡は広く開放され目立った排水施設もないのである。  その解答の一端を見たのは、本丸内のある小規模な発掘調査で、石垣内部の盛土の精工な施工を見たことで、少しは理解できた。

 一方の仙台城跡本丸高石垣については、江戸時代初期にモノと思われる築造だが、一般に整形した石材(長方形の企画された積石材)で積まれた石垣は見かけによらず、変形変位に弱く、一部の石材の欠損でも崩壊してしまうのが構造的な特徴である。しかし、仙台城跡の本丸高石垣だけが孕みだし等変形を受けてもその原型を留めているのか不思議で仕方なかった。

  後に、その本丸高石垣の改修に立ち会って、崩壊しないことを予測したのは、地盤面の強度が均一(不動沈下がない)ことと石組の確かさから伺うことしかなかった。  城石垣を見るとき。地方々の特色を加え、ある特定の時期に最高傑作に匹敵する構造物を造り出している。現状で明確な答えを出すことはできないが、可能な限り、後世に残したいものである。

 一週間前、突然私のパソコンが開かなくなり掲載が遅れてしまいました。今は仮のパソコンで始めています。当分です。誤字脱字は悪しからず!

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