2011年に起きた東北大震災とそれに続く福島原発事故は、地方自治体の役割とは何かを考える機会になったはずである。「主語」が全く居なくなった地域区域で、行政とする役所は何を目指すべきか、その職員は、何を自らの役割とすべきかを考える機会になったはずである。
私事だが、被災地を支援するため中小の民間企業のアドバイザーとして訪れた地方自治体で、あまりの役所の主体性のなさと自らの役割を見失っていることに愕然としたことがある。まるで震災前と変わらぬ役所と職員の職場風景と、一方では、コンビニもない山間部に粗末な仮設建物に押し込まれている住民がいる。「復興はまだまだです」と謳う幹部が居るが、仮設住宅の困難な生活に「筵一枚」付け加えるような「人情!」を勝ち取ることさえ気が付く組織も職員もいないのかと、ある種の強い怒りを覚えたのを憶えている。
問われる地方自治体の「熱量⁉」
私は「ヒトの貌」で判断するきらいがある。地方自治体から城跡等整備コンサルの業務委託を請けるかどうかは、その担当者の顔で判断することがある。それには、私なりの言い分がある。「史跡の整備等公開活用事業」については、慣例も少なく、事業内容も多くの城跡の状況が異なるように同じものはない。「自ら一歩踏み出すような」性格の担当者でないと、私自身、誰のためにやっているのか分からなくなし、成果も乏しいことになることは明らかだ。
行政にとっても、文化財の整備活用は国の市民に供する新たな分野であり、行政やその担当者(それを支える内部の行政機関も含め)の行動力やその想いの強さで整備内容も事業規模も可能性は大きく異なるからである。
具体的に、担当者の事業実施までの作業内容ははるかに多く、国文化庁への協議や申請書の作成、第三者委員会の組織化やその開催資料の作成など数限りない。自治体の「力量」もその職員の資質も問われることになるのである。
結果的に、破損し歴史的景観をもなくした城跡の整備内容や住民理解への成果の多寡は、結局職員の「やる気と主体性」にかかっているからだ。意欲も生活感も乏しいような担当者の「貌」では、それこそ文化財の保護の視点でも止めたほうが良いに決まっている。
地方自治体の主体性!
地方の城跡の整備活用の事業を担当していると、行政とはなにか、地方自治体の役割とは何かを考えさせられることがしばしばある。
バブル崩壊による地域の鎮静化やそれに続く「グローバルの時代」は、より地方に生活する住民に大きな影響を与るものと実感させられるものである。
地域の緊急の活性化が住民生活の視点で求められるのは当然であり、魅力ある協働社会や「街づくり」が叫ばれていたりした。人を呼びこむような地域資産の活用や、地域特産品の活用、住民活動としての特色ある産品の商品化など、地域活性化が繰り返し叫ばれている。
しかし、地域活性化の先頭に立つべき地方自治体にその主体性はない。何より地方行政組織もその職員もその緊急の課題に取り組む姿勢は全くない。
それだけではない。主体性をなくした行政以上に、行政が組織する第三者委員会等委員の形骸化した協議や見識も、一部にみられる専門委員の横暴で執拗にも思える行為に呆れることがある。それらの傾向は、伝統文化継続や文化財の整備活用等行為で多く見られるのである。
「先生」と呼ばれる人たち
私の印象だが、世の中に「先生!」が多すぎないかと思う時がある。何をやるにしても、特に行政で活動する場合、各々専門家や有識者からの指導が入る場合がある。しかし、冷静な目で見ればこの「先生達」は何ができるのだろうかと考えてしまうことは、私だけだろうか。
私は文化財整備活用事業で出会う先生達にあまり好感は持っていない。特に行政内部で伝統文化等専門委員については、悪い印象しかない。たまたまなのか、ある地方自治体で整備等事業に執拗に、傲慢にも見える態度で行政の担当者に向き合っているのを幾度か経験しているからである。まるで、先進的な事例を試みる職員を後ろから槍で突き刺すような評論家のような行為である。(実際、先進的な地域文化財の活用を推進していた職員が、閉鎖的で封建的な組織の中で権威をふるっている専門委員に執拗な指摘を受けて、一人は失踪し、一人は退職し、何人かは表情のない病にかかっていた)
歴史や文化や郷土史家の専門家であるかもしれないが、「行政」であること(研究ではない)に認識が無く、「事業」について理解が無いことに驚くことがある。「学校か、せいぜい学校の塀の周りで一生を過ごしてきたような」人達がいかに専門委員と称しても、事業の特異性や構成や継続の問題を協議すること自体が無理なのだと思ったりもした経験がある。
そして何より問題は「先生」であることに、何ら自ら疑問を持たないような傲慢な人が多いことが地域や街づくりに哀しい結果をもたらしているようにも見えるのだ。
私が城跡の整備等事業の仕事を退き、たまたま地域での活動家の支援を頼まれた事がある。地域に根差した伝統文化の継承に活動する人達や、地域の衰退に対して新たな協働する職場を造るため特色ある産品で街おこしを目指す普通のおばさん達の支援などである。当たり前に地方自治体への協議など期待するものでなく、私は直接国の省庁への地域支援を提案した。お金と事業項目が沢山ある省庁へ「民間への直接活動支援事業」への申請である。ただし、私は彼ら(彼女たち)に申請事業獲得するための条件を出した。「先生」を代表にしない事、活動主体が自分達であることを自覚することである。
地方自治体に期待しないのは、まず、窓口の協議で解ることであり、肩書を持った「先生」を代表にしないことは、自らが主語主体であるような見境のない人達が多いことである。そのような光景は、文化財の修復の現場で、街づくりの活動で、世界の歴史遺産の修復等現場で沢山見てきた記憶がある。
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