地方活性化と文化財

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印象的な光景に出会ったことがある。

バブルが崩壊して間もない90年代中期のことです。めったに電車も来ない山陰の人通りの少ない駅前の小さな喫茶店に、四、五人のご老人が場違いに思えるような熱い会話をしているのです。「地域活性化」へ向けての話です。
 一人の御老人が声を高めて「これからの地域活性化は、地域の宝である歴史文化財の活用である」と熱く語り、遺跡の特徴を活かした復元整備と全国に向けての公開により、地域の活性化が何より必要だと、自慢げに話していたのです。

「箱もの」でもなく大規模な土木等工事でもなく、その活性化の対象は地域を語る歴史文化財であることを主張しているのです。歴史の景観を失い、破損している遺構を整備再生して、人を呼び込むような活性化策を目指すべきと声高に話していたのが印象的でした。
政治家でも、学者でもない普通の人々が、地域の活性化へ「歴史遺産や地域の文化財」を対象にすることが私には時代の変化を感じ取るような気分だったのです。

 地域資産として見直される文化財

  1990年代以降、バブル崩壊後の地方の衰退に対して、国の経済対策が頻繁に実施されるようになった。私が歴史文化財の整備等事業を担当して、その規模も背景も、そして地域の期待も大きく変わってきたのは90年からである。

 文化庁の少ない年間予算で、「現状」を保存することのみを目的とした事業枠が、保存のみならず「整備と公開を目的」とする事業に変化してきた時代だった。国史跡等関連の事業名が「保存整備事業」から「環境整備事業」という総合的な公開活用のための事業に、文化庁の補助事業に加わったことがその端的な例である。
全国の市町村の自治体が望む文化財、とりわけ城跡の整備公開向けて動きが加速し、以前は犬猿の間柄のようにも思えた国交省(建設省)と組む「省庁連合」まで、歴史文化財整備が計画実施されるようになったのである。
大きく変わったのは、文化財整備公開が観光等外向けの行為ばかりでなく、地域の住民に対して文化や伝統など「地域生活の高揚や地域への愛着促進」のための内向きの資産として活用されることだった。

 

 住民理解のない文化財保存やその活用等事業はあり得ず、地域資産としての整備や公開が住民の共有の資産として活用されることになる。「文化財の保存や整備公開」が地域住民を巻き込むような事業内容として組み込まれるようになっていった時代でもある。
その傾向は、国等指定文化財ばかりでなく、無指定の城跡の整備にも向けられるようになったのだ。

 復元整備された地方の城跡

「整備公開」から「街づくり」に

 「グローバルの時代!」ともてはやされる一方、衰退沈静化する地方が、地域の生活を護り住民活動での高揚を図る手段として見直されたのが「地域に受け継がれる文化や伝統」であり、特有の歴史文化財の活用だった。その特徴的な歴史遺産を忠実に「復元整備公開」を地域と地域の生活を活性化のため「街づくりの手段」に変化したのである。
そして、全国の地域が対象としたのは、ほとんどが全国いたるところに遺る「城跡」である。しかし、城跡整備活用はほかにない難しさがあり、事業期間もそこに投入される費用も莫大なものになることである。

 

 いろいろな地方自治体から「城跡」の整備等事業の相談を受けるとき、これは地域観光等の「地域活性化」なのか、地域地方の特色ある「街づくりの一環」なのか疑問に思う時がある。
国文化庁の歴史文化財の国庫補助整備等事業の主たる目的が「将来的な保存」であり、整備事業もまちづくりの一環としての市民を巻き込んだ「保存活用事業」に繋がるような事業内容に重きを置く。しかし、地方自治体側の方は、歴史文化財の公開活用による「地域活性化策」に重点を置きたがるのも、尤もな話でもある。国側も結果的に地域の活性化につながることは仕方がないが、最初から「観光」を目的にするような事業は規制した。そこに大きな違いがある。

具体的には「一点豪華主義」のような建造物復元(天守閣や櫓建物等)を目指すような事業は認めないのは当然である。(本丸跡に天守建物だけを復元するような行為は、まるで「裸の王様」のようで、文化や歴史性を誤り、見失うものである)

記憶に遺る「街づくり」

 地域の歴史文化財整備の目標や成果については、幾つかの視点があると私は思っている。その代表的なものとして、地域住民の生活やその活性化を主眼としているもの、そしていわゆる観光による地域経済の活性化が目的のものである。

 私が経験した「城跡等文化財」の整備活用について、その「まりづくり」の視点で当初の計画の段階から、明確な意思を持っている地方自治体が幾つかあった。 
具体的に、その文化財整備とその関連のまちづくりへの関連については

 ●先駆的な「街づくり推進」で有名な愛知県の足助町の委託で始まった「城跡整備公開」で見た、住民を巻き込んだ先進的な地域活性化策は、行政主導のアイデアたっぷりのまちづくりであり、その一環としての地域の城跡整備。

 ●中心市街地に広大な史跡文化財(城跡)を有する松山市の文化財活用のまちづくり。中心市街地に安全な緑地の確保のために指定文化財の規制を活用した憩いの空間確保。

 ●荒れ放題の城跡を「城の景観」に戻すことにより、歴史的景観を遺す特異な「城下町」の活性化を目指した長野松代の目標とそのお街づくり。

 指定史跡の城跡の整備等事業を担当すると、事業期間が十年を超えるようなことはざらになる。その地方都市に何回も何回も訪れると、否応なく住民の生活に直結する行政施策の大きな違いに直面する。例えば、生活環境の安全を図る「歩道の整備」の度合いだけでも、その違いを実感することになる。世界遺産を目指すような文化都市でも、全く住民生活の安全の配慮が欠けている、情けない地域もある。

その違いは歴史文化財の整備と公開や活用の具体的目標に大きな違いをもたらすことになる。城跡の修復で、新たな地域のシンボルとしての「整備活用」は変わりなくとも、優先する公開の目的を地域特有の文化や伝統の高揚とその生活環境を優先するような自治体があり、一方観光資源としての従来の活用を目指す自治体もある。そのことは、地方自治体の重要な施策「街づくり」の重点の違いとなる。分かり易く言えば、事業の目的が「地域住民」なのか、経済の活性化なのかの将来にかかわる問題となるはずである。っ結論から言えば、住民の身近な安全を配慮しない「街づくり」など、文化の継続も地域住民意識の高揚もあり得ないのであると思っている。

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