どうしても納得いかないことがある!【Ⅰ】

地震発生が夜間に起きたことを忘れていないだろうか。熊本大地震(2016年四月十四日)の発生時が夜間のため観光客等人的被害がないないことを、不幸中の幸いであることを忘れていないだろうか。

元々、石垣は地震により崩落の危険が付きまとっている構造物です。今も昔も同じことで、それでも戦国時代の職人は試行錯誤の中から今に城石垣を遺す歴史があるはずです。現に地震からも、長年、構造的に成り立っているものもあるのです。
しかし、問題にすべきは、近年復元整備された石垣で崩落しているものもたくさんあることです。

何ら地震被害の要因も原因も研修される事も無く見逃されているのです。崩壊したものと健全なものを比較するだけでも、今後の大規模な石垣修復の参考になるはずです。

 修復工事の「納得のいかない」こと

私がどうしても納得いかない石垣修復のことがあります。
積石を「番付通り」に元の位置に戻すことを必要以上に気を取られていることです。小さな「詰石」さえ元通りの位置に、戻そうとしていることです。積石隙間に入る「詰石」の大小は結果であって、最初から意図したものではないのです。

現在、城石垣の本来の構造の意図や築造技術を見失っていることが大きな要因だが、誤った修復の手法が石垣本来の力強さや構造的な強度を失う結果になることに気が付いていないのが問題なのです。

冷静に考えて下さい。昔の石工職人がそんな馬鹿なことをするだろうかと。積石を元通り戻すような「表面的なまね事」で構造本来の強度を維持できるかを真剣に考えてほしいのです。

近年の石垣修復箇所が大きく壊れていることに目をそらし、また同じことをしようとしていることが、何故理解できないのが不思議で仕方がありません。

「伝統技術を守る」と称する呆れた技法について

テレビのニュース映像で、石工職人が「積石を番号通りに積み直すこと」が「伝統技術を護る」ようなことを話しているのを見たことがあると思います。

元の石垣の積石を元通りに積み直すことが「技術を残し伝統を守る」と石工職人が話していることに、何か違和感を感じませんか。

情けないことです。当然のように話す職人も、それを許している専門委員会も、そして国や地方自治体の文化財担当者も同じです。それを真に受けて報道するマスコミにも、良識を疑います。

可笑しいと思いませんか。

 「ピカソの名作」を同じ絵の具で、同じ手順で同じように描いたとしても、「ピカソの真価とその価値を再現しました!」という愚か者はいないし、それに納得する人もいないはずだ。

今、それと同じことを熊本城の石垣修理に行っているのです。それだけでなく全国の城跡の石垣の修復工事にもです。

真似事は結局、偽物です。最悪なことは、表面的な「積み石」ばかりを気にとられ、モザイク模様のように「石垣」でなく「石張り」を造っていることになることです。

 後々後悔すること。

「ピカソの絵」を持ち出すことでもなく。それらの石工達の行動の行く末を、国の文化財担当者は考えるべきです。私が城石垣の修復を担当していた二十年前はまだ、「可能な限り」主要な積み石を番付して元に戻すことの指導でしたが、今では積み石の小さな隙間の「詰石」まで番付して戻すことに専念しているのです。そんな馬鹿な行為に終始している石工や専門委員の先生達は、その情けない行為に「伝統を守っている」まで言い張っている始末です。

何が問題か!
 城石垣は土木構造物です。
壊れれば、人の命さえ危険にさらす構造体です。表面的なまね事で本来の構造的な強度や安定を放棄しているばかりでなく、本来の城石垣が持つ「緊張感」や圧倒的な威圧感を失う結果になっていることです。

城石垣の価値は聳え立つ石積の緊張感であり、その力強さであるはずであり、真似して、出来るモノではありません。観光として来訪する一般の人達にも、修復された石垣に、何か違和感を覚えるような感覚を与えるはずです。
伝統も技術も見失い、文化的、歴史的価値を見分けることが出来なくなっているのが現代なのです。表面的にまねるだけの行為がまるで「伝統を護る!」と言い訳のように言っているだけなのです。そして、日本古来の文化として残る城石垣を破壊しているのです。

 

 

 

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