「石割」の伝説に挑む

エピソード

「矢穴」の謎に挑む!

城石垣の初期の積石の一辺に四角い小さな穴の痕跡があるのを知っているだろうか。石を割り込むときにつけた「矢穴」である。

積石の一辺に3寸~4寸幅(約12㎝内外)で深さが三寸ほどの四角く掘りこんだ痕跡です。戦国時代から慶長年間(江戸時代初め)にしか現れない割跡の「印」です。それ以後の矢穴は、小さくなり「一寸~一寸五分幅」になり、明らかにその矢穴に差し込むものは鋼「ハガネ」の矢跡です。鋼の矢は今でも使われるものです。
しかし当初の大きな矢穴については、今での謎のままです。文献や一部の伝説では「木の矢」と書かれているものもありますが定かではありません。

石垣に見える「矢穴」

イベント

 東北を代表する城跡の本丸石垣の大規模な改修が始まるときです。
 市側の建設幹部と話しているとき、「起工式」をしたいと役所側がいい、何かイベントになるようなことは無いかと聞かれたとき、即座に「木で石を割る!」ことはどうだろうと私が言ってしまったことがそのきっかけです。

 城石垣に興味ある方なら「矢穴」の存在を知っている方も多いだろう。戦国末期から石垣築造が爆発的に全国に拡大する時期、自然石から割石に積石が変わる時期、そして高石垣が築造されるとき大きな積石の一辺にいくつか並んだ四角い「矢穴」の跡が残っている。
「伝説」では、その穴に「木で造った矢」を差し込んで石を割った跡だと言われていた。ただそれを誰も観たこともないし確かめたこともない。
 前々から確かめたいと私は思っていたことだ。

その伝説!

幾つかの伝説が今に伝わっている。
 「木」を入れて石を割ったのだとの説や、割り方は「木の矢」をたたくのではなく、水を含ませて、木が膨張することで石を割ったと言う人までいる。
 誰も見た事も無いのだから、硬い石を柔らかい木片で割るなど信じられる人も居ないが、その痕跡だけは、眼前として残っているから伝説になる。

 その「幅広の矢穴」はほんの一時期のもので、すぐに現在でも使われる小さな矢穴(約四、五センチ幅)にとって代わられ、矢が鋼に変わったことを示している。石を割り込むために、差し込むハガネではそんな幅広のものは必要もないから初期の幅広の「矢穴」は木製ではないかと推測されるゆえんである。
 こんな尤もらしい話もある。「石の目を見て」や矢穴の位置決めたという人も居るが、当時石垣築造には大量の積石が必要になったはずである。都合よく、石に割れ目が入った石が見つかる訳でもないことから「矢穴」が必要になったと私は思っている。

「木」で割り込む以上に難問がある。

 「木」で矢を造ったといっても木の種類は皆目見当がつかない。
 また簡単に木の矢と言っても、先端の角度や矢穴へ差し込む大きさ、矢穴に打ち込む方法もわからない。何より問題は、往時積石として使われたのは比較的に柔らかく粘り気のある「安山岩」の転石を割るのである。花崗岩のように「固い」けれど割りやすいものではない。
 そんな、安山岩の大石を「木」で割れるのかが疑問でもあった。

大掛かりな実証実験

 冗談話から出たような「伝説への挑戦」であるが、その話を持ち掛けた、当時最高の石工達のほうが本気になった経緯がある。持ち掛けた私が何かやった訳でなく、そばで見ていただけである。
 事前に「リハーサルをやろう!」というのも当然のなりいきだが、それは大変でもある。いろいろな木を集めて幾種類もの「木の矢」を造る係、矢穴をあける係、適当な自然石に近い石材を集める係を手配し、それぞれ数十個の単位で用意しなければならなかった。
 場所が必要となり、用材や職人が集まりやすい東京にわざわざ敷地を借りて、石工職人4~5人以上で数か月、何も報酬がないイベントの為に実証実験を繰り返すことになった。

 多くの確かめる項目があった。「木の矢」は桐やヒノキ、栗などの木材を用意し角度を変え大きさを変え何度も試している。(硬すぎる木は、例えばチタンなどは固すぎて矢穴から弾かれてしまう)矢穴も内部の角度やその間隔まで試している。矢穴に入れた木をたたく順番まで気になりだしてくる。
 そして、先が見えてきたのは、削り穴の角度と打ち込む期の矢の角度が同じでは割れないとのことだった。打ち込むことは「喰いこむ」ことなのだ。

ここで書ききれない苦労話も、笑い話のように聞こえることも沢山あった。

悲しくも「見事一発」で割る。

 市長も参加した石垣改修の起工式に、作業着を揃えた石工職人が並んでいる。内心本当に割れるかは「運」任せのようであったが、念入りに用意した「木の矢」で大きな自然石を割って見せたのである。  
 終わってしまえば、一瞬のこと。見ていた私は「安堵感!」とあまりに一瞬のことなので、今まで何か月も、何十人もの職人と結果的に大きな資金を投入してきたことが何なのか、幾分、納得できない思いもあった。それは揃いの法被を着た職人達も同じ思いだったはずである。

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