(石垣修復の課題)
長野市で城跡整備事業を担当していた時、市役所の知り合いから有名な社寺の参道の石畳の修理に意見を求められたことがあった。社寺側から「地元の石屋に何回か修理させたが出来上がったものに、納得いかない」とのことでの相談だった。
その石畳は江戸中ごろ、関西の大商人が寄進した参道の敷石らしく、半畳ほどの荒くたたき仕上した板石を目地を深めに取って敷き並べただけのものだが、本堂に通ずる参道として、存在感のある景観を創り出していたのである。
「地元の石工の修理」は、その意図を理解していないのだ。割れた敷石を新しく取り換えたのだが、同じ形でも表面を滑らかに仕上られたものに変られていて、新しく敷き直したところが、昔の風情を台無しにしていた。経験から言えることだが「荒く仕上げる」には相当の力量が必要だ。
復元か再現か
私は知り合いの石工を呼んで「新しい板石」を取り外し、昔と同じように粗目の叩きで仕上げた板石で敷き並べるように頼んでその場を離れた。
後から石工職人に聞くと、石工達は社寺側にもう一つ難題を持ちかけたと言っていた。板石の「仕上げ」についてである。
最初に寄進した江戸の中ごろの状態に「復元」戻すか、それとも三百年以上たった今現在の、多くの人が草鞋や靴で歩いたことで滑らかになった状態に「再現」するかを訊ねたそうである。社寺側は答えに困ったことは当然である。
石工達は決めかねている寺側に「助け舟」を出たとのことです。仕上げを、その中間の位置、時代を江戸末期の頃の踏み込まれた状態ぐらいに「仕上げますか」と了解を求めたそうです。
城石垣の修理修復の検証
現在の城石垣修復工事は、「復元」しているのか「再現」しているのか全く理解できないし、その検証もされていないことに問題がある。石垣修復等工事に、目標設定が曖昧な中で施工を実施しているようにしか見えないのである。
文化財保存保護を管轄する文化庁記念物課やその専門委員は、その明確な意見を持っていないことに問題がある。ほとんどが文系や歴史を専門にする人達が、構造が何たるか、施工とは何かをわからないのだ。
特に石垣の場合、技術も修復の伝統もはるかに衰退した現在、構造的な精査もなく、時代的な特性も修理修復の検証もされる事も無く、ただ表面的な「元の位置に積み石を戻す」ことのみ合言葉のように唱えているようにしか見えないのです。
昨今の地域観光のための「高石垣復元」を見ればわかることです。表面的な真似事で構造を維持することなど出来る訳なく、多くの復元した石垣が変形や崩壊の危険性に直面している。何より歴史文化財の消失の危険性を自ら造り出していることに気が付いていないのです。
そして、石垣修復での問題!
ある東北地方の有名な城跡の石垣修理について、文化庁の専門調査官からめったに無い相談があったことがある。「修理した石垣が地元住民から評判が悪く、直す方法はあるか」と、ぶっきらぼうな会話だった。
その石垣は「積石に番付して厳密に元の位置に戻した石垣修理」だが、あまりに城の石垣の様相を異にして「モザイク模様」との市民からの悪評を受けていた。
後日、ついでに立ち寄りその石垣を見て市民の反応は当たり前だと思った。長年親しんでいる城郭石垣が全く迫力が無くなっていたのだ。有名な石垣専門業者が施工したらしいが、あまりに情けない。専門業者も、それを許す専門委員会も、そして市役所の担当もどうかしている。城石垣で最も大事な石組みの緊張感とその力強さを失っているのだ。市民が「モザイクのような石張り」と批判するのも納得できるものである。
文化庁の専門調査官への返答は「無理です、やり直すしかない」といったはずだが、その後の対処は見ていない。
指針の策定!
日本の城石垣は、その構造の特徴として石組みや裏込めを固定するものではなく、そのため時間の経過とともに変異や突発的な地震や水害で変形や崩落の危険性が必ず付きまとうものです。
文化庁のすべきことは、工学系の専門委員、施工と材料工学や構法についての専門家を集めて、城石垣修理修復等工事の指針とその検証が可能な施策を示すべきことであり、全国の城跡を所有する市町村にその指針により文化財の保存保護を指導すべきであることは明らかである。
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