「城石垣」を学ぶ⁉(エピソード)

 堅い話は一時休止して、城石垣の現状について私なりの解説を行いと思っています。分かっているようで解明されてないことが多い城石垣ですが私が行きついたいくつかの疑問について「エピソード」として掲載したいと思っています。

 城跡の石垣等歴史遺産に興味ある方はご存じと思いますが、城石垣を構造的に解説した本は無いはずです。歴史物語としての石垣築造の話は在っても、石垣本来の構造を解説したものは無いのです。歴文化財としての紹介は沢山あるのに土木工学からの構造を解説するものは無いのです。

 何故、無いかは専門家と言われる人達も石垣の構造が理解していないところが多いからと私は思っています。古文書や歴史資料を技術書と勘違いしている専門家も、たくさんいます。
 そして、その理解不足は城石垣への「文化的な価値」そのものを失うような修復工事や復元工事が為されていることです。石垣構造の曖昧な理解が我々の最も身近で親しみを持った歴史文化財の損失を招いているのです。

 「石垣理解」への問題です。

 私が最初に城郭の石垣に向かい合った時の感想は「なぜ、壊れないのだろうか?」との普通に抱く疑問でした。四百年以上の時代を過ぎても、今なお健全なことに不思議に思ったからです。

 そこから、石垣への興味と探求が始まるわけですが、如何に、伝統文化財である石垣の理解が不足しているかを思い知らされることになります。

たとえば、次の質問に答えられますか。

 難問(?)は四つあります。

  • 城跡に使われる石垣と棚田や路端で見られるような石積とは何が違うか?
  • 古墳時代のその主体部、横穴式石室に積み上げられる「持ち送り式」積石と、城石垣の構造の違いは。
  • 西洋の土木工学で云う「擁壁」と城石垣の構造の違いは分かりますか。
  • 積石にわざわざ石尻を細く加工するのは何故か
      (代表的な例として間知石の石尻が細く加工されるのは何故か)

 単純な質問のように見えますが、工学的にこの問いに答えられる人は少ないと思います。日常的にたくさんの石積や石垣を私達は目にしますが、違いもその理由も分からない人が多いはずです。

「城石垣」を学ぶことの困難さ

 私が城石垣の修復を目指した時、石垣工事について構造的に解説するような本は「農業土木」分野での簡単な解説だけでした。1980年代のことです。

 それ以外は、土木工事等の積石工事であり、そのほとんどが裏込めにコンクリートを流し込んだ「練積(ネリズミ)」での工事仕様でした。伝統的な人力での積石構造「空積、カラズミ(裏込めにコンクリートを使わないもの)」は殆ど解説本からも姿を消していたのです。
 昭和の三十年代の初めまで「建設物価調査会」が出した「工事標準歩掛」に「高さ5メートル」以内での控えの長さ(積石の長さ)ごとに尽力での積石歩掛(㎡当たりの石工と普通人工数)が載っているのを発見したくらいです。

 私がどうしたかと言えば、農業土木の専門家やロックヒルダムの設計経験者などの仕事をしている人に聞くぐらいしか方法はありませんでした。幸い、私自身、それ以前に古墳の横穴式石室、石組の修復の経験があり「持ち送り式の石積」の修復を、実際に体験し、石工職人の職能の喪失に加え石工人夫の不足を体験していました。城石垣のように自然石を使うような構造体を造る工事が全く現存しない状況での職能の喪失は、当然のことだったのです。

多くの城跡跡で石垣の破損、崩壊のための修理や修復が必要とされ、一部であるが実施されている中で、その職能も構造の理解のための解説書が無いのに驚いた次第です。

城石垣の大きな疑問、難問

一方、城石垣は「なぜ壊れないで長い期間、保っているのか?」との大きな難問です。その問いに、今でも正確に答える人は居ないはずですし、それに応える本もないのです。

 私たちが修理工事を行うような石垣は、その石垣面の一部の変形や崩落の危険性のあるものもありますが、高石垣は現存しているのはそのほとんどが最も築城が盛んな慶長年間前後に造られたものであることが驚きです。それ以前も、それ以後の時代も、高石垣は現存していません。
 正直、高石垣が何故、今でも現存しているかが難問なのです。どんな構造物にしろ、四百年以上、その構造を維持していることが脅威でしかありません。土と石で、それも固定する(コンクリートのような固定するもの)ものもなく、その機能を維持していることが不思議であることは誰も思うことです。

             文、続く。城石垣を学ぶ⁉(Ⅱ)

コメント

タイトルとURLをコピーしました