「城石垣」の伝統を守る!

職人のとは、その育成とは

「伝統を守る!」と職人はよく口に出し、「伝統を受け継ぐ」と語る職人も沢山います。私はそう言う職人に出会うと、私は「貌」を見てしまう癖がついている。言葉以上に「真実」を語るものとして風貌を確認する癖がついているのだ。

職人が「語る!」ようになったら、もうその人間はプロではないと経験から私は想い知っている。「手」より口(言葉)が先に出るようになったら、その人間を職人として信用はしていなかった。この想いは私の長い石垣等修復等工事現場で出会う職人の「質」に必ず当て嵌るものだ。
伝統文化でも「芸」と「術」の違いはあるが、人の命にかかわる技術の継承は、そんな生易しいものではないと思っている。

職人が育つ環境とは

 言うまでもなく、国内での石職人の育成は大変難しいものになっている。長い間、伝統を失い、技術をなくした職能を復活するのは、大変難しいからだ。
 職人が育つ環境は如何なるものかとの問いに、私の経験から、答えの一端を示す体験をしたことがある。
日本国内の積石用の石山の廃山や廃業の問題もあり、その確保に中国国内へ石材の産出状況とその加工技術の視察に何回か足を運んだことがある。まだ人民服が街中でみられる時期に視察に行った時の経験である。中国東北部の大規模な露天の採掘場や雲南省など南部の自然の安山岩が産出する石山を見に行った。また、石工職人が沢山働いている福建省の加工現場まで、その状況を見に行ったことがある。

そこで驚かされたのは、まだ小さな子供たちが鑿をもって必死に石の表面を叩いていたことである。日本でいえば、まだ小学生のような子供達である。現場の「親方」は小さいころからの修行で「いい職人が育つ」と言っていた。

同じような印象的な話を日本国内でも聞いたことがある。三河の足助という小さな町で、山城の整備工事をしているとき、不思議に若い大工職人が沢山いたことに驚いたことがあった。その理由は、地域に自ら若手の職人を育てる場を造った「名人」が居たのである。その宮大工の棟梁の話に「変な言い方だが」と断って「昔はみな貧乏で、子供を高校へ行かせられないような家がたくさんあり、そんな中に頭のいい職人向けの子供がたくさんいた。そんな環境がいい職人がうまれた」と語った。今では、ほとんどの子供達が「高校へ行ってしまい、修行にいい時期」を逃してしまうようなことが、いい職人が育たない結果を生んでいると話していたのを記憶している。

職人の育成の急務!

私が思うに、昔は石関係の職能の呼び名が沢山あったと思っている。「アノウ」という言葉に意味するように積石石工や墓石や庭石を扱う職人も呼び名がそれぞれ違っていたと思っている。それぞれ名前が違うことで、社会に認知され、尚且つその伝統も技術も認められていたと思っている。

私が石垣修復工事でそれに気が付いたのは、加工石を扱う職人と自然石を扱う人間には大きな「手(修行)」の違いがあることからだ。現在の石工はそのほとんどが加工石しか扱えず、自然石の積石には全く向いていないことが分かったからだ。

私が主に復元等対象にした石垣は、そのほとんどが戦国末期からの城石垣で自然石や不定形の割石の石材を用いたものだった。整形加工されたものではなく、自然の割肌や丸みのあるものなど、大小さまざまのものを積石として使う石垣だった。最初に大小の石材を見て、造り上げる石垣のイメージが石工職人になければならないのである。成型加工した医師にそんなイメージは必要ない。
現在、自然石を用いて城壁のような大規模な石積を施工するようなことはない。その意味で、文化財の城跡の石垣に向いている石工(職人)など、ほとんど居ないのである。

自然石を扱う「職人」が必要なのだ。
文化庁や文化財保存を担う行政もその専門委員会の先生達も、石工職人の職能に何ら疑問もその指導もしていない。せめて、積み石の種類。加工石材と自然石を扱う職人の質を問うべきなのだ。

社会が護る

結局、伝統や技術を護るとは、それに直接的に携わる人間の能力以上に社会が必要としているかどうかの問題に帰結するようだ。社会に必要とされれば、その職人は育つし、育つ環境も継続もする。
文化財保護の最高機関、文化庁は、石垣修復等の技術を失っている現実やその育成する環境を失っている現状をどう考えているのだろうか。それが引き起こす危険性を、いつまで野放しにするのだろうか。

一方で、石垣修復の手法、積み石に番付けして表面的に「元通りに戻す手法」は伝統をないがしろにし、技術者の育成を拒み、多くの危険性を引き起こしている。目先の形状だけを真似するだけなら誰でもできる。何を護るかを考えるべきだ。

 

 プロとは何か?

 数年前だったか、ある高名な噺家の姿をテレビで見て唖然としたことがある。落語の師匠が己の病を押して「高座」に上っている姿であり、それも酸素吸入器を鼻に差し込みながらである。私は頭の中に「志ン朝はどこに行った!」と前後不明の言葉が浮かび、すぐにその映像を消してしまった。

 その映像を見て私は「伝統を護るとは?」そして「誰のための行いか?」を考えさせられ、加えてプロとは何かを考える機会になった。
土俵に上がるお相撲さんに例えることでもなく、それを許す組織(協会)も、彼自身も伝統を護るとは何かを考えた方がいいと思ったのだ。

彼(師匠)にも言い分があるかもしれない。高座に上がる自分を「見に来てくれる人がいる」と。マスコミまでがその行為を何の批判もなくその映像を流しているのだからと。ただ、「芸」だから許されることで、他人の命にかかわる「術」であれば許されることではない。

 誰の為に伝統を遺すかを考えれば、目先の人達ではないはずであると私は思っている。そしてそれを継承する「プロ」とは、自分の行為について「客観的に己(仕事)を観ることができる」人をプロと名乗ることができると思っている。どんな人でも、誤りはあり、それを客観的に観ることで「やり直し!」できる。それがプロだと思っている。

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