余談ですが、ある有名な大手ゼネコンで、同じ興味を持った人がいて、その会社のスパーコンピュターを使って城石垣の構造解析を試みたことがあります。
スパコンであっても条件設定は人間がしなければなりません。普通に城石垣、それも高石垣(約20m内外)を構造解析しても、すべてアウトです。よって構造解析の対象は「なぜ(四百年も)維持しているか?)です。 対象とした石垣は、ある程度整形された石材での高石垣ですが、数量的な構造解析は不可能でした。言い方を変えれば、「壊れないこと」を説明する解析ができなかったのです。
(仙台、青葉城本丸高石垣)
城石垣を学ぶ、理解する?
私の経験から、城石垣を学ぶのに何をすればと問われれば、素直に「ひたすら見て歩く」ことしかありません。変に歴史書や解説本を読むよりも見て歩くことをお勧めします。可能であれば、戦国末期から江戸時代初期のものを、もう一つ加えれば「昔の人はどの視点で見たのか?」のように一つの課題を持ったほうが時代の香りを感じられると思います。
城石垣を学ぶ、理解する?
私の経験から、城石垣を学ぶのに何をすればと問われれば、素直に「ひたすら見て歩く」ことしかありません。変に歴史書や解説本を読むよりも見て歩くことをお勧めします。可能であれば、戦国末期から江戸時代初期のものを、もう一つ加えれば「昔の人はどの視点で見たのか?」のように一つの課題を持ったほうが時代の香りを感じられると思います。
城石垣を理解する近道は、「時代、時期」を見分けることです。順序が違うように見えますが、城石垣はモニュメントではありません。人の命がかかった代物です。何より石垣の緊張感を感じ突ことができれば、だれでもその時代的な特徴を理解できます。
石組みの仕方にも時代的な特徴はあります。しかし具体的な積石の形状よりも、石組み、勾配の取り方などに緊張感を見ることができれば、時代を見分けることができます。
私の場合、数多く見て歩くことで突然のように時代、時期を感じることができましたが、問題はそのあとに、その「推察」を「確信⁉」に変悪までが相当の時間を要しました。
質問に対する私の答えです。
先に質問した答えについて簡単に解説します。(詳しくは、『城石垣は何か』の項で説明しています)
棚田の石積は土留めであり、城郭のそれは「城壁」ですと答えた人は正解です。しかし、その構造は全く別物です(同じような施工断面に見えるかもしれませんが、施工手順が違い構造的な役割が全く違います)
城郭の高石垣を観れば明確です。石垣背後や内部からの土圧や浸透水の対策のため、その処理としての裏込の栗石層(排水等の緩衝材)の構造を設けていることが最大の違いです。
古墳の横穴式石室の持ち送り式石室構造の質問は、積石にかかる荷重と役割が全く逆の応力構造です。古墳の横穴式石室の石積の維持には、上部の墳丘の均一な土圧(荷重)が絶対必要条件です(有名な石舞台古墳のように単純なマグサ構造の石室とは、また違います)上から抑える土圧がなければその石室は維持できません。それが城石垣との根本的な違いです。
擁壁との違いについては、別の項目で書いています。
間知石のようにわざわざ真四角の石材の石尻を細くするのは、構造的な問題です(コンクリートを流し込むためのものではありません。コンクリートが入る前から同じ形態です)
住宅街によく見かける間知石垣の間知石の加工については、石尻を細くすることによって石組施工を強くするためです。石を組む(石を積む)時その間隔に割石等で強く充填ことの方がレンガの様に真四角で石を組むより強固になるからです。例えば、列車の走行で急な坂を上る時、線路に砂をまくのと同じ効果です、路線と列車の車輪がベタで接するより砂の摩擦の方がはるかに大きいからです。「石を積む」という言葉でなく「石を組む」と伝えられる所以です。
以上が城石垣の概要ですが、まだまだ解明できていないことが石垣築造には沢山あります。切り出しの問題、運搬や加工、何より石積施工の作業やその工程が分からないことが多いのです。多くの未解明の領域が城石垣施工に残っています。
これから、私が疑問に思い、いまだに解決できない石垣工事の難問について、可能な限り分かり易く解説したいと思っています。
これから、最大の難問「二又(にまた)」、伝説になっている「矢穴」、そして作業の効率のための「玉掛け」について私なりの解説を試みたいと思っています。そして、私がこの世界に足を踏み入れたきっかけについて、書いてみたいと思っています。
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